日本学術振興会基盤研究B 湘南土話の総合的研究 
2008年度第1回現地調査記録写真
(日記はおって追加します)
撮影:朱 他
感谢永州!感谢江华!


2008年8月27日 北京ー永州
(左の写真をクリックすれば、記録写真が見られます)
 予定としては列車で北京より永州に向かうのでしたが、北京五輪期間中で列車の切符はとれず、飛行機で桂林へ、それから桂林から永州にとなりました。
 飛行機は順調でした。北京上空も綺麗でした。桂林にやや遅れて到着。弟の友人で桂林で不動産経営の社長が新型BMWで迎いにきてくれて、懐かしい桂林米粉を昼食に取ってから運転手に永州まで送ってもらいました。高速道路ができて、でかくて長いトラックをよく見かけますが、日本特有の「集団走行」は中国の高速では見られません。
 永州に到着と、ホテル「南華」に荷物を置いて、弟の自宅に招かれ、何と、25年前、知識青年として下放した農村で「民弁教師」として教えた小学生数人が、今、立派な警察官となって会いにきていました。こっちは子供の顔しか覚えていませんが、向こうは先生の顔をしっかり覚えているようです。田舎の親戚がわざわざ来て、地鶏料理やら唐辛子料理やらテーブルいっぱい、結局左の写真のとおり、盃を置く暇もなく飲んでいました。
 やはりいいよ、故郷のともがき、故郷の酒は。

2008年8月28日 永州にて
 今日は研究協力の地元大学の先生と会う予定で、昼間は永州市政府所在地の冷水灘の川辺を散策してみました。少年時代は零陵で過ごしたためか、こっちには愛着は特に湧かなかったのですが、川にダムができ、水もきれい!泳ぎたくなりましたね。ダムの下に行ってみたら泳いでいる人たちがいるから、ついに川に飛び込みました。爽快!何年ぶりかな、瀟湘を泳いだのは?川の向こう岸まで1往復を泳ぎましたが、1000Mかな?
 夜は予定通りに地元大学の先生が零陵からきてくれて、先遣隊の日程ができました。また今年も中学校の親友の李さん、こちらでは「李総」と呼ぶ移動電話会社の社長と会えて、そしてまたしっかりごちそうになりました。

2008年8月30日 永州ー江華
 29日は地元大学の先生の都合で一日ロスしましたが、今日は江華に参りました。弟とその同級生の李さん、ベテランの運転手さんの運転で、今度また弟の友人の新車、新型レクサスで来ました。運転してみましたが、とてもよい車です。
 途中、双牌で山道を登る直前に、バイク泥棒を捕まえた現場に出くわしました。やはり犯人を殴るのだね、中国の警官は。
 江華県水利局長と副県長さんが会ってくれて、研究調査のことを聞いてくれました。水利局長は非常に良い方です。今の中国政府の幹部においては優秀で立派です。私の希望をよく聞いてくれて、とても大事な方を紹介してくれました。後の研究班のインフォーマントの紹介で大変お世話になりました。

2008年8月31日 江華近郊農村調査
 水利局長さんは言語の専門家ではありませんが、江華県所在地の沱江鎮周辺に様々な方言を話されているから案内してくれました。
 客家語を話す瑶族の村です。瑶族が客家語を話す?そして瑶族なのに緬語が話せない?まったく初めてのことで、驚きの連続でした。言語研究やっているのに、自分の故郷の人々がどんな言葉をしゃべっているかも定かではない、これは恥ずかしい。いや、ここ江華はやはり特殊、特別な環境だ。おもしろい!そして、とても貴重な客家の家系図を見せてくれて、これは感動!
 後で聞きましたら、江華県を瑶族自治県にするには瑶族の人口が多いほうがよいとのことで、漢民族も戸籍上、村ごと瑤族籍に入った例はここ江華は多いようです。中国人で日本国籍を取得する場合がありますが、中国国内で他民族籍に改めるのは初めて知ったものですから驚きました。


2008年9月1日 江華ー永州
 永州市政府と最終日程調整のため、そして桂林へ研究班の大部隊を迎えるため、江華から永州に戻りました。
 途中、母の故郷の冨家橋鎮の親戚の家に立ち寄りました。外祖父の葬礼以来です。農村の生活はどうかわったか見られるし、何より親戚の地鶏料理が絶品だと弟が勧めるので寄ってみました。川はまっすぐきれいに整備され、道路は修繕中ですが、よくなりました。中国国内も養殖のものより農民自家用のものがよい、化学肥料のものより有機栽培のものがよいということで、車を持っている人はよく農村へ安全でおいしいものを探しに出かけます。農民もそれで大分豊かになったみたいです。親戚の家も新築で、一階は店、裏は豚、鶏、鴨を飼っていました。鶏と鴨は自由に川辺や田圃で遊んで育つからうまいはずです。
 実際、大変においしかったです。それに、異蛇酒、蝮より大型な毒蛇で有名な永州の特産品ですが、親戚の地酒はもっと特別でした。使用した酒は60度の米焼酎。うまいなこれは!農村にいた3年間は酒を造ったことがありますが、米焼酎を60度に作るのは何回蒸留することか。幸い親戚は酒が弱いので、でないと夜まで酔っ払って寝込んでいたことでしょう。
 確かに農村は都会ほど豊かではありません。しかし、私がいたころよりははるかに豊かですし、一生懸命働いています。もし私がずっと農村にいたら、たぶん、都会の人たちはまずいもんを食っているなと、ひそかに笑っているかもしれません。

2008年9月2日 永州にて
 今日は早朝に長沙にいるいとこからの電話で、永州市長秘書と連絡がとれたとのことで、教えてくれた電話にメールをしたらすぐに待っていましたとの返信がきました。「旅遊外事僑務局」が担当ですので、市政府へきてくださいとのことでした。永州市政府は初めて行きました。20階建てのビルの18階にあるので、そこへ行ってしばらく待っていたら、壁にある局長の写真と同じ人がきました。初めてお会いするが、なんと下の弟の同級生でした。みな出世したなあ、と感じました。日程を詰めて、責任者の課長は英語ペラペラの外交官経験者。これで大丈夫だとはじめて安心しました。中国では上層部から指示がないと、下はなかなか動かない。ちなみに北京五輪期間中に日本人、フランス人が来る。地元は本当は来てほしくなかったみたいです。なにかあると首が飛ぶからです。
 まあ大丈夫だとの思いもあって、昼の政府の歓迎宴では60度の酒を男六人で(市長秘書も同席)3本空けました。私は何もないですが、彼らはそのまま出勤でした。

2008年9月3日 永州ー桂林ー永州
 市政府の支援で日程が確定したので、気持も軽々しい。桂林ー永州往復は500キロ前後ありますが、運転していないし、疲れませんでした。科長と車2台で研究班大部隊を迎えにいきました。昼は全州の鍋、牛の持つ鍋と川魚料理、とにかくうまい。ここ全州は永州と同じ西南方言ですが、声調の違い少々有って、よく通じます。
 研究班の到着は40分遅れ、急いで永州に戻っても、夜の9時を過ぎました。でも、局長は待ってくれました。市長秘書は待っていましたが、遅いから歓迎宴に出席できませんでした。
 おいしい料理を前に酒もすすみ、われらのリーダーはできてしまいました。日本では宴会では何人も酔っ払いますが、中国では、一人酔っぱらうと、他の人は醒めてしまう。強行軍で疲れたから、酔っぱらったほうがよく眠れるからいいか、と思いました。

2008年9月4日 永州ー寧遠ー江華
今日は朝早く出発して、寧遠を経由して江華に向かった。
昨年と同じ永州市水利局の面包車(ミニバン)を貸してもらって、運転手もやはり弟の同級生でプロの運転手李小合さんにお願いした。李さんは今回我々の専属運転手となったが、今年一月の大雪災害で救援物資運搬で大変活躍したらしい。生まれつき酒飲まない体質らしく、無事故、無違反の優良運転手さん。中国では珍しい。
昨年度も通った寧遠だが、暴風雨だったため、景色が見えなかったが、今回は曇りだったので、九疑山風景区ではじめて桂林のような山々が見えて興奮した。桂林の溶岩地帯は北は寧遠、江華、江永などに伸びて、南はベトナムのハロン湾の海上桂林につなぐ。ハロン湾は言語調査で10年前に行って感動したが、寧遠はまた感動した。
江華に到着すると、県長をはじめ、観光局の方々が迎えてくれた。夜の歓迎会で、こんな豪華なテーブルは初めて見た。

2008年9月5日 江華にて
翌日に早速インフォーマント選定から土話調査を開始した。先遣隊のときに予備選定した方たちを一堂に集まってもらって、吉川先生を中心に選定を進めた。私は江華の西南方言と永州との比較を予定しているから、農民夫婦にお願いした。
昼食後録音をすすめ、夜はまた、少年時代の親友に会った。35年前に、江華に就職して遊びに来いと言われたが、やっと会えた。奥様と孫さんと一緒にホテルまで来てくれた。私より一つ上で、壁一つの隣なので、少年時代はよく一緒に遊んだ。特によく川で一緒に泳いだ。懐かしいな、少年時代は。

2008年9月6日 江華にて
今日は朝から各人でインフォーマントと調査をすすめる。わざわざSONYのPCM-D50をもってきたが、私の部屋は道路向きで雑音がはいる。まさかド田舎の江華もこんなに車やバイクがあふれるとは思わなかった。
昼食は観光局の招待で瑶族村に行ったが、楽しかった。瑶族が、生活の中にお酒と歌を欠かすことができないと皆言っている。食事中は、瑶族の歌を聞きたいと言い出したら、じゃ、私が歌うから、あなたが飲んでください。そして、歌が終わるまでずっと飲んでください、というから、こりゃ楽しいぞ、と思ったのはいいが、昼から酔っぱらっていた。
昼食後散策すると、偶然に江華芸術学校の娘たちに遭遇。今度はラマール先生が娘たちのアイドルとなった。芸術学校の瑶族の娘たちは多分、はじめて江華でフランス人を見たと思う。背が高く美人のラマール先生は目立っていた。娘たちは競って記念写真をねだったが、ラマール先生は優しく応対した。

2008年9月7日 江華ー桂林
今日は午前中は瑶族の村を訪問し、午後はラマール先生と広瀬先生が先に桂林経由で日本に帰国する。
私もはじめて瑶族の家庭訪問をした。江華県は今でも中国ではわずか47県最貧困県の一つだが、瑶族は一番貧しい。瑶族の中では過山瑶がさらに貧しい。彼らは木を切って、獣を取って、山を降りていわば物々交換で生活してきた。この山の木と獣がなくなると、次の山に遷る。ところで、木を切る人、獣をとる人はよそ者が大量に増えたため、彼らが生活が苦しくなった。行く途中に山一面木を切られたのを見て、同伴の森林局長に聞いたら、環境保護で木を切らないというが、しかし彼らが木を切らないと生活できない。山に経済林を作るとしても、運び出せないから無理、との回答だった。
午後は江華から桂林へノンストップで行った。飛行機の時間に間に合った。私も同乗して見送ったので、夜は桂林に一泊した。

2008年9月8日 桂林ー江華
今日は3年ぶりに桂林の街を散策した。好きなんだ、桂林は。大学の卒業実習は桂林だった。当時桂林の観光ガイドの日本語訳は先輩たちと全部やったので、いまでも、大体の景観は覚えている。85年に、教え子たちの卒業実習の引率にも桂林だったし、1歳の娘がはじめて七星公園の芝生で歩けるようになった。
陽溯の写真はあまりないので、ちょっと道草をくって、江華に戻った。

2008年9月9日 江華にて
夫婦のインフォーマントは江華の沱江まで遠いし、仕事もあるからということで、別のインフォーマントを民族局長に紹介してもらった。王さんだ。学校の国語の先生から市の文化局へ勤務し、江華の歴史・文化、特に瑶族も詳しい。すごいよい方で、調査もスムーズ。
今日は午前中に録音等も予定よりも進んだので、午後は瑶族始祖である盤王廟を見学した。
王さんの説明で、瑶族は炎帝の子孫であるという新説を知って驚いた。炎帝黄帝は兄弟で漢民族の先祖だ。兄弟喧嘩で炎帝が破れ、黄帝が黄河文明・長江文明を創造した。今は瑶族は少数民族だということで、漢民族と違うという先入観は改める必要があるかも。
言語学的にも、漢語の底層を有しているかもしれない。

2008年9月10日 江華にて
今日は中国では教師の日、教師節だ。吉川先生のインフォーマントも教師だったらしく、ご自宅で現役教員である我らを招待することになった。奥様の手料理、地酒、これはうまい!いや、やばい!ついつい食いすぎ、飲みすぎたあ。

2008年9月11日 江華ー地方調査ー江華
今日は山奥の瑶族の村を訪問した。朝沱江出発してまもなく、交通事故に出くわした。死者がまだ道路に横たわって、事故車のトラックが50メートル前にとまっていた。この近所の農民なのか、村民が集まって、道路を封鎖していた。なんとか通してもらって、夜帰りにまだ封鎖中で、運転手の李さんを残して、歩いて迎えに来てもらった森林局長の車に乗りかえった。
道路、いや砂利道の尽きるところまで行った。ちなみに車が通らないから、2人バイク、吉川先生に3人バイクで行ってもらった。さらにこの奥の山の瑶族の生活ぶりは想像しにくいほど不便で、貧しいだろう。
吉川先生は途中の村民に会って、早速煙草を勧めながら調査をはじめられたこと、学者魂に脱帽。
小学校校長を務めた瑶族の有名人の宅を訪問。貴重な太鼓舞を見せてもらった。昼食の鎮長の乾杯には参った。吉川先生は頑張ったが、私は途中から逃げた。初めて逃げた。李さんの運転に安心したか、午後の訪問先の2時間は車窓の景色も見れず昏睡と戦った。連続作戦で沱江に戻った時はすっかり夜となった。
川辺で川魚を森林局長にご馳走になってから、カラオケに行った。観光局副局長の瑶族娘の歌声に圧倒された。

2008年9月12日 江華にて
いよいよ明日永州に戻るので、今日は最後の録音を澄まして、夜はこちらの答礼宴。お世話になった江華の方々に賞状を贈った。中国の習慣で記念にもなる。江華観光局局長が出席してくれた。インフォーマントの方々も出席してくれた。
感謝です、江華!

2008年9月13日 江華ー永州
吉川先生を残して一足先に永州に戻った。中国初の仲秋節で、休暇になった。インフォーマントの王さんからおいしい昔風の豆沙月餅をもらった。販売されていないということで、お土産にできなかった。
江華から永州までは170キロ、途中の山道は40キロはある。夜は思いがけなく中学校、高校の親友が来てくれただけでなく、18で上山下郷して民弁教師をしたときの教え子が何人も集まってきてくれた。向こうは覚えてくれているが、こっちは全くわからない。だって、鼻水を垂れていた農民のせがれがこんな立派な警察官になったからだ。来てくれた全員が警察官。

2008年9月14日 永州にて
今日朝早く、私の運転で父のお墓参りをしてきた。この時間をくれたのも吉川先生に感謝。
昼前は吉川先生と合流し、水利局長の招待で、永州市観光局長蒋さんを囲んで祝宴を開いた。
永州の皆さん、感謝です!

2008年9月15日 永州ー桂林ー上海
桂林へ空路で上海へ。吉川先生は香港へ。
運転手の李さんとお別れだ。
李小合さん、お世話になった!
上海ではじめてリニモーにのった。431キロだった。

2008年9月16日 上海ー名古屋
上海空港は不便だ。国内線から国際線へは遠すぎる。いつも荷物が多いので、どんなに速いリニモーもモーいい。
大阪から長沙へ土曜日に空路が開通したらしい。これは便利かも。